活動レポート

2005年7月13日掲載

人と川とのいい関係・フォーラムin2005 報告

人と川とのいい関係・フォーラムin2005
「福井豪雨あれから一年 川に問い、山に聞く。」

2005年7月9日(土)13:30~16:00 今立町生涯学習センターで開催しました。
参加者は220名
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開会ご挨拶
【木津進行役】
(社)近畿建設協会の支援を受けて実施したことを紹介する。
【辻岡今立町長挨拶】13:35
被災後1年災害対策におわれてきて感じたことは、変化してきた社会環境や生活圏と人以外の自然環境圏との折り合いがつかなくなったことに要因があると思う。福井豪雨を貴重な体験として今後活かしていきたい。昨年福井豪雨直前に町内の山地でヒダサンショウウオの生息を発見した。まもなく豪雨で生息地が流されたがその後再び生息を確認できた。人の誕生前から生息しているサンショウウオは、進化と共に生きる知恵を持っている。人と生物がいい関係、いい折り合いを大切にして行くことである。福井豪雨後1年を経過して人と生物の共存と未然の防止策を話し合い学びたい。
【基調影像】DVDにて放映30分
dvd「あすは夏越-福井豪雨の4時間半-」
2005年28分
制作:田中保士/演出・聞き手:渡邊光一
撮影・編集:東正一郎/ナレーション:飴田彩子
資料提供:気象庁、国土交通省近畿地方整備局足羽川ダム工事事務所、福井ケーブルテレビ会社、福井県今立土木事務所、前田正治、森永泰造、池田町、美山町/協力:蔵作の皆さん、福井市映像文化センター
企画:日野川流域交流会

フォーラムの発言要旨 14:20~16:00
「福井豪雨 あれから1年「川に問い、山に聞く。」
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【山内取材・進行役】
映像を見ていると、昨年取材に駆け回った被災地を昨日のように思い出します。蔵作、下池田、そしてここ今立町。どこも一面、茶色、泥とほこりの世界でした。これほどの広大な被害を受けた古里がどうやって元に戻っていくのか、当初は想像すらつきませんでした。あれは発生から3日目の朝でしょうか。今立町ボランティアセンターの立ち上げに訪れたとき、ふくい災害ボランティアネットある幹部の女性が悲鳴を上げるように駆け寄ってきました。そう、学校の先生の細川かおりさんです。「被災者は大変です。家が傾き、破壊され、ぼう然としています。もっと今立のことも報道して。そして、ボランティアがどんどん来てくれるように。お願い」。祈るように話していたあの言葉が心に焼き付いて離れません。
あれから1年。現在1面で掲載しております1周年の連載企画の取材で、あらためて被災者の方々を訪れています。いろいろお話をうかがっておりますと、被災者の心の中には、今も深く傷跡は心に刻まれていると感じております。しかし、そういった中にもわれわれは、着実に復興の道のりを歩んでいかねばなりません。その道筋を考えるに当たり、あの災害の教訓は何だったのか。川や山は、自然はいったい何を訴えかけていたのか。1年を契機に、もう一度腰を据えて考え、ここにおられる皆さんの体験、ご意見をうかがいながら、よきヒントを導きだしていければと考えております。
そうしたことから、今回の私の位置付けはコーディネーターといった呼び方ではなく、聞き役、みなさんを代表する取材者といった視点から進めさせていただきたいと思っております。どうぞ会場の皆さんも、ご自由に発言してください。また、ご意見をうかがわせていただくこともあろうかと思います。どうぞよろしく、お願い申し上げます。
【高松】
当時は集落全部が流れて無くなると思った。県内外のボランテアのおかげで1年経って復旧し、災害があったと思われない復旧である。水道の復旧が早く効果的であった。
ボランテアが毎日300~400人多い日は500人に及んだ。毎日の受け入れと作業の指図がとても効率よく行われた。蔵作は泥でなく岩石、石が家屋内や敷地に流れ込んでいる。スコップや1輪車では歯が立たない。そこで岩石や石を1個ずつ手で運び出した。気の遠くなるような作業と思われたが、見事に運び出してしまった。とても暑い日の作業は15分ごとの交代で休息をとりながら整然と安全な作業が行われた。
住民の絆が力を発揮した。ババーズに象徴される集落の団結力である。砂防堰堤7基が入ってきたが、つぶれ地(用地)提供を快く協力してくれる。
森林組合に従事する関係から、収入源を多くすることが課題だ。そのために炭を作り、植林化してきた。スギ植林が悪者扱いにされているが、適地適木が必要だ。
災害の後イワナが生息しているのを見つけた。
【江端】
住民は当日早朝から公民館に集まっていた。恒例の社会奉仕の日である。降雨が激しくなり、白いカーテンがぶら下がっているような轟音と豪雨を古老たちは初めて体験した。
8時半役場に連絡撮ったが電話は不通、携帯電話は圏外。10時過ぎ若い住民3人が状況を見に山を下ったがとても通れる状態でなく、金見谷入り口の橋に流木が山ほど引っかかっていた。今度は谷口へ林道を見に行った。
役場の対応が待っていられないので、自分たちの道は自分たちで確保しようと相談した。集落は老人が多かったが、軽トラックが通れる道を確保して避難した。
山が深いところは陽が当たるように管理すれば、水田に必要な水は確保できる。災害が少なくなると川は曲がりくねっていたのに真っ直ぐに整備して、余り地を田んぼにしたところは全部流失した。川整備は無理をしないで、自然に保たれた地形に合った整備をすべきだ。
山の管理を丁寧にすべきだ。集落では昔から木挽きして板にしていた。早めに枝打ちをしてきた。
川にヨシが増えてきた。親しみやすい川にしてほしい。昔はマスが金見谷の堰堤まで上って来ていた。
【奥田】
大滝住宅や紙漉工場170戸中108戸が被害を受けた。神宮川、岡本川が溢れ道路が川になった。大滝の対策本部の設置は早く、ボランテア受け入れは翌日から行われた。毎日50~60名のボランテアが来てくれた。
最初は各戸から出されたゴミは分別せず処分したがすぐに分別を始めた。そのような素早い対応で10日間で終わった。
砂防ダムの近くに公園を作りそこに森をつくっていきたい。大滝の神宮川沿い改修によって潤いの空間にしていきたい。災害のない町づくりにがんばっていきたい。川にゴミを投げないようにします。
【渡邊】
P1040479大雨でなく滝と大風が凄かった。棚田の放棄ちのスギ造林が総て流木となった。棚田は減災の知恵と思われる。水を蓄える機能と排水機能とダム機能を有している。災害は忘れた頃にやってくる。日本(東洋)はヒマラヤから季節風が毎年やってくる。半年ごとに禊祓(みそぎはらい)儀式があったが、暦を忘れてしまった。大滝はごみの処理と対策本部立ち上げ、蔵作はボランテア作業と水道管の素早い復旧、横住は住民連携が目立った。
アリやハチは集団で家を直す。大滝神社の社叢林のブナ樹林は、今年が6年に1度のブナの実の豊作で350年生きている。3代で1000年生きる。河川の総延長1200もあり、行政だけでは無理。防御ではなく減災の工夫を取り入れた新たな流域づくり政策に転換すべきだ。
【名津井】
自然環境や河川行政が変化している。年間雨量が減っている。気温が年1度ずつ上昇している。水害被害が平成10年から10倍に急増している。河川行政も明治9年治水、昭和9年治水と利水、平成9年治水と利水と環境と総合的な河川行政に変化してきた。
災害を最小限にするためには、住民の連携が大事だと思う。管理河川延長1200kmの川の行政には限界がある。機動力にも限界がある。現在降雨後3時間後の予測を伝達する仕組みを急いでいる。
地元は、ボランテアの動ける仕組み、地元のリーダーが行政と連携していく仕組み、組織づくりをしてほしい。
一定規模以上の雨量がいつかくると予測しているが、これに対応した整備は、何倍もの川幅にしなければならない。それは無理である。工業団地などの開発に対応しきれなかった。  水海川のような樋河川(谷を見ると川に沿って同じ幅の平地がある)はまれで、殆どが熊の手のような地形なので、降雨は早く流れ出るので早めに対策をとる必要がある。
河川整備を単一化しすぎてきた。今後は自然に近い災害の少ない川づくりをしていきたい。それには住民の合意形成が必要となる。
【山内】
東京湾と鹿児島湾のどちらが多くの魚が生息しているか会場に聞いたところ、東京湾に多くの手が上がった。川の多い東京湾と川のない鹿児島湾の比較に有るように、川の恵みこそ重要である。21世紀に向け、100年かけて災害復旧から、よりよい水の循環までつなげていこうとするなら、復旧に携わるわれわれが、将来を見据えて出発していかねばならない。
そして、あるべき次の災害に備えないといけない。川に問い、山に聞きながら、先人から受け継いだ減災文化をいかに将来へつなげていくか。みなさんが歩み出す上で、きょう出た内容が、よき参考になればと願っております。よき古里の発展をお祈りして。
閉会ご挨拶
【木津】自助、協助がこれからの地域社会づくりの原動力になる。鞍谷川ワークショップは子や孫のために人と自然の共生していきたい。
――――――――――――――
記録整理責任 田中保士


川に問い、山に聞く「福井豪雨あれから一年」フォーラムをふるかえり
コーディネートを、コメンテーターにあずけて、『川・生命の水脈』として福井新聞に長期連載した取材記者が聞き手に徹しフォーラムの司会を進めたのは非常に新鮮であった。会場となった生涯学習センターの雰囲気もプラスしての2時間半のフォーラムは成功裡に終わった。
先ず28分間の基調映像は、狭い山間地を襲った福井豪雨の特徴を捉え、三つの聚落に視点を絞って、災害の実態と防災の根拠を示しながら一年前を想起させた効果は大きかった。
続くフォーラムでは、映像にも関わる人々で、美山町は(蔵作)森林組合の総務課長さん。池田町は(金見谷)区長で杉の造林では伝統を守る八代目の山林業家。今立町はブナの権現山を守る和紙特産地で災害復旧に当たった(大滝)区長さん。行政からは河川技術の専門で環境保護にも詳しい土木部河川課長さんというベテラン揃いが、この一年を振り返りながら、災害の状況やそれぞれ復旧の道のりを発表。行政でも、県の河川延長1,200㎞は防ぎきれるものでなく、減災の工夫を取り入れた新たな流域づくりが必要であり、そこに流域に残る先人の知恵が大切であることや、もよりあう聚落の団結力で孤立した地域を支え合い防災体制も自発的に立ち上がって対応した実体験や、さらには各地のボランティアとの連携をリードできて復旧が一段と進んだことや過去の体験した知恵が生かされ、山林も管理を怠らずなされた谷山は豪雨にも耐えて安定していたこと。また、日常のくらしが協力的な風習は炊き出しや弱者の支援にかけつけ、土地にのこる権現山信仰は、住民から更に大いなる災禍を免れた安堵と感謝の喜びが聞かされたことなど、それぞれの流域に生き続けている永い歴史が育んだ文化なのだと素朴に感じとれるものであった。それに大きな被災をうけた足羽川や鞍谷川流域は棚田が多い地域である。特にモンスーン気象が仕上げた水耕農業も機械化農業による転作から過去に置き去られて杉造林化された小ダム機能の棚田は消え失せて、今回の流木禍を引き起こしたともいえる。今回被災地を励まし続けたものに石一個、泥一掬を黙々と続け、15分間2交替で炎天下の作業をするボランティアの行動によって何時した復旧が完了された活動は被災者に復旧への勇気を与え感謝されたのである。このひと夏の天候にも助けられ、福井豪雨の被災地は激甚にもかかわらず復旧の歩を進め、かくして一年、二次災害防止対策も進渉したことは幸いであった。今後、この災害の教訓から多くを学び、豪雨風水害のメカニズムの研究と逆な渇水災害にまで強い山林づくり対策で適地適木の森林管理や、堰堤、遊水施設、魚道など砂防から橋梁を含めた流路工学を視野に入れた自然循環型の永いスパーンでの安全企画が創案されなければならないと考える。
さて、フォーラムの終わりに、本年2005年は6年目のブナの豊作の年であることをアピールして日本海側の背梁山脈へ自然との共生を自ら教えてくれる「ブナの森」の復活の運動を展開すべく提案することができた。今年の10月10日までにはブナの実を拾い、来年4月には北に面した山に植えよう、という呼びかけであった。さて、フォーラムの2時間は具体的な取材質問に答えてのパネラー実践回答でよきヒントが導き出されて、望ましい効果が挙がったと思われる。
結論としてもヒマラヤの東に延びる大陸と内海は、寒暖乾湿の変化が四季をつくり、一月の「寒明け」、七月の「梅雨明け」は、大陸からの寒波襲来と日本海の梅雨前線の作用で起きる大雪と洪水サイクルであり、暦では『土用』と呼ぶ一月の寒気祓いと、7月の暑気祓いで、門松の大歳祓いや茅の輪くぐりの夏越祓いの行事には一千年以上にわたって行われている。そこには、大自然にたくましい集団で生きているハチやアリのごとく種族保存の秩序ある行動は、社会生活を営む霊長族の人類文明も同じであって、大自然の循環という生命のリズムの中にあっては異常気象こそは逆に正常な脈搏として認めなければならない天災としての存在を自覚させられた福井豪雨であったのである。

平成17年8月3日
日野川流域交流会 代表幹事/渡邊光一
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