日本の治水では明治30年以降、土砂の生産と流出防止を目的に、山の崩壊地緑化が進んできました。
この結果、戦後ころにかけて、治水上の土砂堆積による河床上昇を防いできました。
高度経済成長期頃になると川砂利採取が頻繁になり、その他の原因も含めて結果的に河床は下がりました。
治水上は有り難いことでしたが、度を過ぎた侵食は、護岸や橋脚の侵食されたり、生態系に影響を与えるものとなりました。
特に、澪筋(流れ)が固定化されて洪水による撹乱が減ったことで、高水敷はヤナギなどの種が繁茂し樹林化が進行しました。
洪水になればゴミや流木が引っ掛かり、堰き止め効果によって氾濫を助長し、私たちの生活をも脅かしてしまいます。
これは最近の日野川の状況と同じです。
川は本来、「運搬・侵食・堆積」の3つの作用があります。
川は、渓谷では山肌を、河道内では高水敷を侵食し、砂礫を運搬し、堆積した砂礫床が形成されます。
瀬と渕や、蛇行を繰り返す動きのある川では河床低下が起きにくく、樹林が進行しても流されてしまい、定着し辛くなります。
また、河床低下の進行によって水生生物や底生魚類が生きられる環境も減ってきます。
川での生物環境圏は水源山地から海まで一連になっています。
下降や遡上する魚も多く、サケやサクラマスなど回遊魚は産卵のために生まれた川に再び戻ってきますが、このような川では命をつないでいくことがとても大変です。
当会では、「サクラマスの駅伝」を統一テーマに10年以上も活動を続けてきたことで、サクラマスの遡上数も増えてきました。
また、「日野川に砂礫河原をとりもどす会」の活動もあって復元しつつある砂礫河原では、サケの産卵も確認できました。
また、河道内樹林を減少させるために樹林の伐根を行政工事として毎年行われています。
砂礫河原再生へのチャレンジは今、進んでいます!
日野川本来の砂礫河原に戻すことはとても難しいことです。
しかし、私たち流域住民は自分たちの「里川」として、『活き生き』とした川を再生する意識と努力を高めていくことで、結果的に私たちと私たちの子孫が生きていく為でもあるということを再認識していかなくてはならないのでしょうか。